記事の概要
こちらの記事では、『人間を越えた人のためのチャンネル』にて配信されている動画『法華経を理解する上で絶対必要な教え!シュレディンガー菩薩.ハイゼンベルク菩薩.エバレッタ菩薩の真空論!なぜ文明が4段階になり最末法にのみ如来が生まれるのか!』の内容を(途中まで)まとめております。
今回、内容を(途中まで)まとめた動画
動画タイトル『法華経を理解する上で絶対必要な教え!シュレディンガー菩薩.ハイゼンベルク菩薩.エバレッタ菩薩の真空論!なぜ文明が4段階になり最末法にのみ如来が生まれるのか!』
動画内容を途中までまとめてみました
如来は最末法にしか現れない
お釈迦様もイエス様も生まれた時代は最末法。
イエス様の前には『像法の如来』と『正法の如来』がいて、お釈迦様の前にも『像法の如来』と『正法の如来』がいました。
(参考)お釈迦様が経典で語ったこと「私の前には二人 如来がいた」
法華経は『正法の如来(お釈迦様)』が『最末法の如来』に対して話しているという形式をとっています。
最末法には仏教はもう滅び去ってしまっていて、悪い僧たちが蔓延っています。
お釈迦様から最末法の如来へのメッセージの要約
そこで法華経を解き明かす如来になろうとすると、棒で叩かれ、土塊を投げつけられ、槍で突かれるようなことになるけれど気を付けなさい。
しかし、『授記』を受けたお釈迦様の弟子たちは「どんな時代であっても私たちは頑張ります。」と誓ってからビッグバンを起こし、あちらこちらの世界に生まれ変わってゆきました。
これが『授記』であり、『法華経の中心的な課題』です。
なぜ如来が生まれるのは『末法の時代』なのか?
正法の如来であるお釈迦様が残した『第五の教え=法華経』を理解するためには、像法の如来であるイエス様の時代の中(イエス様の2000年間にわたる正法の中)に『何もない真空の構造がどうなっているのか』を語っている教えの流れが必要になります。
基本的には『ニュートン菩薩』『アインシュタイン菩薩』『ニールス・ボーア菩薩』の三人が土台となり、その上に一番重要な『真空の性質』を解き明かす『シュレディンガー菩薩』『ハイゼンベルク菩薩』『ヒュー・エヴェレット菩薩』がいます。
有名な『シュレディンガーの猫』が『宇宙の一切の情報が集合した何もない真空の状態』を表した喩えになっています。
そこに、ハイゼンベルクが『何もないならそれを観測する視点もないじゃないか』と問題提起しました。
参考資料:Wikipedia『シュレーディンガーの猫』
シュレーディンガーの猫(シュレーディンガーのねこ、シュレディンガーの猫とも、英: Schrödinger’s cat)は、1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると説明するために用いた思考実験。
シュレーディンガーは、EPR論文を補足する論文の中で、観測されない限り重ね合わせであるとして記述すると巨視系の状態が状態見分けの原理(巨視的な観測をすれば区別できる巨視系の諸状態は観測の有無にかかわらず区別できるとする原理)を満たさないことを示す具体例としてこの思考実験を用いた。
本来は量子力学を批判するために用いられたものであったが、むしろ量子の世界の特異さを説明する例示として逆用され、後にエヴェレットの多世界解釈が生まれるきっかけの1つにもなった。
量子論におけるいくつかの解釈や理論をシュレーディンガーの猫を使って説明するという例もよくある。
⦅中略⦆
■猫の生死に関する思考実験
ジョン・フォン・ノイマンは自著「量子力学の数学的基礎」において、隠れた変数理論の否定的証明を行い(ノイマンのNO-GO定理)、計算上で観測時に観測結果を選びとる射影公準を提唱し、観測する側とされる側の境界をどこにでも設定できるとした。1935年、シュレディンガーはドイツ科学誌上で論文『量子力学の現状について』を発表し、射影公準における収縮がどの段階で起きるのかが明確でないことによって引き起こされる矛盾を示した。
一方で、佐藤勝彦は、その中で猫を使った思考実験を用いて、ミクロの世界の特有だという確率解釈の矛盾を突くことで、量子力学が未だ不完全な学問であることを証明しようとしたとしている。実験の内容は以下のとおりである。
猫と放射性元素のある密閉した鋼鉄の箱の中で、放射性元素の1時間あたりの原子崩壊確率を50%とし、ガイガー計数管が原子崩壊を検知すると電気的に猫が殺される仕掛けにすると、1時間経過時点における原子の状態を表す関数は
|原子の状態|=|放射線を放出した|+|放射線を放出していない|
という二つの状態の50%ずつの重ね合わせによって表される。その結果、猫の生死は、
|箱の中の状態|=|(放射線が放出されたので)猫が死んでいる|+|(放射線が放出されていないので)猫は生きている|
という50%ずつの重ね合わせの状態になる。
つまり、箱の中では、箱を開けてそれを確認するまで、猫が死んでいる状態と生きている状態の重ね合わせになる。
これは量子力学的には全くおかしいことではなく、観測による波束の収縮の結果が相互に排他的で両立し得ない性質を持つ2つの状態の間の選択になっているだけである。
もしもこれが現実を記述しているとすれば、「巨視的な観測をする場合には、明確に区別して認識される巨視的な系の諸状態は、観測がされていてもいなくても区別される」という“状態見分けの原理”と矛盾する。
シュレーディンガーはこのことをもって、量子力学的記述は未完成であると主張した。
このような重ね合わせの不思議さは、シュレーディンガー以前から考えられていたことであるが、M.ヤンマーはこの例が他の例と違うところは、観測という過程によって行き着く先が猫の生と死という互いに排他的な性質を持つ二つの状態間の選択になっているということである、と指摘している。[独自研究?]
同様に確率解釈の問題点をEPRパラドックスにより指摘することを試みたアインシュタインは、猫の生死という非常な身近な事柄で問題点を指摘したことに非常に感銘し、シュレディンガーに対して1950年に称賛する手紙を送っている。
量子力学の基本
『何もない真空』の中に位置が決まる。位置は時間と空間の始まりになり、そこには生態系が生まれていて、地球のような惑星があり、知的生命体が生まれて初めて位置が決まる。そしてその知的生命体から『宇宙は138億年前に何もない真空の中から生まれ、星雲や銀河や惑星も生まれ、地球に生態系が生まれ、そして今 私はこの宇宙を観察できる一つの位置になっているのだ』と認識できる。
位置がひとつ決まると、そこから『可能性の世界』が始まります。
10分後に観察者であるあなた(もしくは私)がどうなっているのかはわかりません。
いろいろな可能性があります。
寝ているかもしれないし、散歩しているかもしれないし、車に乗っているかもしれない。
この『可能性からは絶対に逃れられない』というのが『不確定性原理』です。
何もない真空には位置がないと真空は自らが真空だと理解することが出来ません。
そこから位置が決まると平行宇宙が始まってしまいます。(ヒュー・エヴェレットの多世界解釈)
参考資料:Wikipedia『エヴェレットの多世界解釈』
エヴェレットの多世界解釈(エヴェレットのたせかいかいしゃく、英: many-worlds interpretation; MWI)とは、量子力学の観測問題における解釈の一つである。
プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレット3世が1957年に提唱した定式を元に、ブライス・デウィット(英語版)によって提唱された。
⦅中略⦆
■ヒュー・エヴェレットの原論文
ヒュー・エヴェレットは、量子もつれと一貫した歴史を前提とした、射影仮説のない量子論の新しい定式化を試みた。エヴェレット自身はその論文中でエヴェレットが提唱した理論は決定論的であると述べている。
論文によれば、量子もつれにより相関した多数の分枝を相対状態として波動関数に記述しており、それらの分枝同士はお互いに干渉できないまま常に並存している。
観測者のうちのひとつの分枝の主観では、それと相関した分枝のみが観測可能な世界であって、相関していない他の分枝は観測できない。
清水明は、射影仮説は実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必須であり、ヒュー・エヴェレットの原論文には射影仮説がないのでユージン・ウィグナーの厳しい批判に遭ったとしている。
重要なプロセス
- シュレディンガー菩薩が『真空』を定義。
- ハイゼンベルク菩薩が『位置(真空の中の位置という概念と理論)』をつくる。
- エヴェレット菩薩が『位置が決まると3次元世界になり、そこから平行宇宙が無限に広がっている』という理論を構築。
この3人の菩薩の考え方(それぞれが構築した理論)がないと法華経は理解できません。
ここまで(動画前半の5分30秒ほど)のまとめと追加説明
この真空の宇宙の中には、(生命体が)生きている色々な無限の3次元世界があります。
そこに生きている生命たちが『死んだ状態』もあります。
3次元世界に生まれてきて『生きている状態』になると、そこから可能性の世界になって、5分後、10分後、自分がどうなっているのかわかりません。
しかし、死んで『量子の状態』に戻ると、いきなり思った通りの状況になります。
例えば、北海道にいたのに次の瞬間には九州にいたりします。九州にいたのに、次の瞬間には犬になって火星の上にいたりします。あるいは平行宇宙に存在する全然関係のない生命体になっていたりと、思ったとおりになります。これが『確定的な状態』です。
対して、位置が決まって3次元世界に肉体を持つと『不確定な状態』になります。
《 動画前半のまとめ ここまで 》
ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。
まとめの続きは、いずれまた‥‥
動画内容のまとめ:観慈在 優智香
参考資料:菩薩たちの主な功績と経歴(出典:Wikipedia)
サー・アイザック・ニュートン
サー・アイザック・ニュートン(英: Sir Isaac Newton、1642年12月25日 – 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 – 1727年3月31日)は、イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者。
主な業績としてニュートン力学の確立や微積分法の発見がある。1717年に造幣局長としてニュートン比価および兌換率を定めた。ナポレオン戦争による兌換停止を経て、1821年5月イングランド銀行はニュートン兌換率により兌換を再開した。
アルベルト・アインシュタイン
アルベルト・アインシュタイン(独: Albert Einstein、1879年3月14日 – 1955年4月18日)は、ドイツ生まれの理論物理学者である。
特殊相対性理論および一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績で知られる。
それまでの物理学の認識を根本から変え、「20世紀最高の物理学者」とも評される。特殊相対性理論、一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。
ニールス・ボーア
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(デンマーク語: Niels Henrik David Bohr、1885年10月7日 – 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。王立協会外国人会員。
エルヴィン・シュレーディンガー
エルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガー(オーストリア語: Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger、1887年8月12日 – 1961年1月4日)は、オーストリア出身の理論物理学者。
1926年に波動形式の量子力学である「波動力学」を提唱。次いで量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式や、1935年にはシュレーディンガーの猫を提唱するなど、量子力学の発展を築き上げたことで名高い。
1933年にイギリスの理論物理学者ポール・ディラックと共に「新形式の原子理論の発見」の業績によりノーベル物理学賞を受賞した。1937年にはマックス・プランク・メダルが授与された。
1983年から1997年まで発行されていた1000オーストリア・シリング紙幣に肖像が使用されていた。
ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク
ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg, 1901年12月5日 – 1976年2月1日)は、ドイツの理論物理学者。行列力学と不確定性原理によって量子力学に絶大な貢献をした。
■生涯
ドイツ南部バイエルン州(生誕当時はバイエルン王国)ヴュルツブルクに生まれる。ミュンヘン大学のアルノルト・ゾンマーフェルトに学び、マックス・ボルンの下で助手を務めた後、1924年にコペンハーゲンのニールス・ボーアの下に留学。
ボルンとパスカル・ヨルダンの協力を得ながら、1925年に行列力学(マトリックス力学)を、1927年に不確定性原理を導いて、量子力学の確立に大きく寄与した。
1932年に31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞。
母国ドイツではナチス・ドイツの台頭で同僚の多くがドイツを去ったが、ハイゼンベルクは、プランクからの「今は生き残るために妥協を強いられるにしても、破局の後の新しい時代のドイツのために残るべきだ」という助言もあり、ドイツに残ることにし、場の量子論や原子核の理論の研究を進めた。
ナチス政権下では、相対性理論及びユダヤ人物理学者を擁護する立場を取ったため、シュタルク、レーナルトらナチス党員の物理学者から、「白いユダヤ人」と呼ばれて強い攻撃に晒された。
ナチス政府から召集され、第二次世界大戦中は原爆開発(通称「ウランクラブ」)に関わった。
イギリスのベルリン空爆で、家を失ったが家族に犠牲はなかった。
戦後は、1946年から1970年までマックス・プランク物理学研究所の所長を務めた。
■原爆開発
ハイゼンベルクは、ドイツの原爆開発チーム「ウラン・クラブ」の一員だった。しかし後に、このことは精神的に苦痛だったと書いている。1941年、ハイゼンベルクはデンマークのボーアを訪ね、「理論上開発は可能だが、技術的にも財政的にも困難であり、原爆はこの戦争には間に合わない」と伝え、あるメモを手渡した。
ボーアはそのメモをアメリカのハンス・ベーテに渡した。
ベーテによると、それは原子炉の絵だった。
ハイゼンベルクのシンクロトロンが、火災を起こし、懸命な消火活動によっても、1ヶ月間鎮火することはなかったため、世界中にニュースとして配信されたところ、その新聞記事を読んだアルバート・アインシュタインは、「ハイゼンベルクがとうとう、原子炉の開発に成功したので、原爆を作るのは時間の問題だ」と考えた。
ボーアからベーテの手に渡ったハイゼンベルクのメモには重水炉のシェーマが記されており、これを見せられていたアインシュタインは、妄想にしか過ぎなかった原子爆弾開発競争を覚悟した。
ハイゼンベルクは、ナチス高官による、電力不足の解決方法を重水炉でするという方法を打ち明けたが、自らは重水炉の開発をサボった。それを知らなかったアメリカは、スパイを使っては、学会会場や、パーティー会場で何度もハイゼンベルクの暗殺を謀ったが、全て失敗に終わった。このようなことから、ハイゼンベルクは、ナチス原爆開発の意図的な遅延や、連合国側にドイツ側の情報を伝えることで原爆開発競争の抑止を図ろうとした、という見方がある。
終戦後は他の開発者と共にイギリス情報局秘密情報部の手でイギリスのファーム・ホールに軟禁され、広島・長崎の原爆投下のニュースもそこで聞いた。
それを聞いたハイゼンベルクは、そんなことは不可能だと驚いたという。
ヒュー・エヴェレット3世
ヒュー・エヴェレット3世(Hugh Everett III、1930年11月11日 – 1982年7月19日)は、アメリカ合衆国の物理学者。専門は理論物理学、量子力学。1957年にエヴェレットの多世界解釈を提唱したことで有名。息子はイールズのEことマーク・オリヴァー・エヴェレット。
■概説
ワシントンD.C.出身。アメリカ・カトリック大学で数学を専攻。その後、プリンストン大学へ進学し、ユージン・ウィグナー、ジョン・ホイーラーのもとで物理学を専攻する。1955年に修士号、その後1956年から博士研究を開始し、1957年、大学院生のエヴェレットは量子力学の観測問題に多世界解釈の理論を提唱し、一躍、量子力学の世界で非常に有名な存在となった。
物理学博士。
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