「ヒッグス粒子」の矛盾点と「ビッグバン」が起こった理由

人間を越えた人のためのチャンネル
  1. 「ヒッグス粒子」という矛盾した存在
    1. 2020年1月12日配信動画『人間の知性の限界点.ヒッグス粒子!宇宙に因果律を作りあなたを生み出した力!』
    2. 2020年1月13日配信動画『『誰がビッグバンを起こしたのか!』人工知能でも解き明かせない人類最後のこの問いを解き明かした人は誰か!』
    3. 2020年1月13日配信動画『あなたも私もヒッグス粒子だった!という話!6G世界で生き残れる人と残れない人!』
  2. 『始まりの問』と『隠された暗号』
    1. 2020年4月12日配信動画『ブッダコード!ブッダの暗号!法華経に隠されたこの暗号がわかるかな!』
  3. 『理論物理学』と、それが理解できない「悪魔」たち
    1. 2021年6月9日配信動画『遂にこの世界に姿を現した悪魔達!』
    2. 2021年8月9日配信動画『ロスチャイルドが企む経頭蓋磁気刺激法による全人類思考支配計画!あなたのカタルシスも思考も行動も記憶もすべて自由に統一政府が作り出す!』
    3. 2021年9月1日配信動画『悪魔とは何者か!またその眷属とはどういう人々か!』
  4. 本道と外道が織りなす次元の構造
    1. 2021年3月5日配信動画『本道と外道!そこから生まれる人間のピラミッド構造!』
    2. 2021年3月5日配信動画『本道と外道が次元構造を作っている!』
  5. 自発的に対称性を破った存在
    1. 2021年9月19日配信動画『ビックバンは誰がどうやって起こしたのか!始まりの問いは越えられるのか!人間と3次元の森羅万象はアルゴリズムに支配されているのか!誰が自発的対称性を最初にどうやって破ったのか!光より早いもの‥‥』
  6. ご挨拶
  7. Select Your Code:

「ヒッグス粒子」という矛盾した存在

2012年、理論物理学の世界を発展させる『大きな出来事』がありました。

「ヒッグス粒子」の発見(検出)と発表。

それは、イギリスの理論物理学者ピーター・ウェア・ヒッグスによって提唱された理論を裏付けることになる「ヒッグス粒子」が、「欧州原子核研究機構おうしゅう げんしかく けんきゅうきこう(CERN)」の「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」を用いた実験によって検出され、世界的な物理学者たちも集まる熱気あふれる会場で大々的に発表されたのです。

万物に質量を与えたとされ、「神の粒子」とも呼ばれる「ヒッグス粒子」。
「ヒッグス場とヒッグス粒子がなければ、物質に質量を与えることができず、原子も私たちも生まれることはなかった」と考える科学者もいます。

この「ヒッグス粒子」の発見は、『ビッグバンが起こったさいの最初の一秒間に発生した出来事』を紐解ひもとかぎになるはず‥‥だったのですが‥‥

実はこの「ヒッグス粒子」。よくよく考えてみると、その呼称自体がすでに矛盾したものだったのです。
はたして、それはどういうことなのでしょうか。

そこで、こちらの記事では、「ヒッグス粒子」と呼ばれるものの本質と、ビッグバンが起こった原因、そして、およそ2,500年前にその答えが解き明かされていたこと示す動画の数々をご紹介いたします。

ピーター・ウェア・ヒッグス(Peter Ware Higgs, 1929年5月29日 – )は、イギリスの理論物理学者。エディンバラ大学名誉教授。2013年ノーベル物理学賞受賞。

 

■経歴
ニューカッスル地方エルズウィック生まれ。父はイングランド出身の音響技術者でBBCに勤務。母はスコットランド出身。幼少期は小児喘息と第二次世界大戦の影響で小学校へ通えず、母を家庭教師に在宅学習を行った。その後、ブリストルのコヘン・グラマースクールへ進学し、同校の卒業生であるポール・ディラックの業績に影響を受ける。シティー・オブ・ロンドンスクールに1年間在籍した後、キングス・カレッジ・ロンドンへ進学し1950年に理学士(第1等物理学専攻)、1951年に理学修士、1954年にPh.D.を取得した(指導教授はチャールズ・クールソン教授)。

 

1955年から1956年までエディンバラ大学上席研究フェロー、1956年から1957年までユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン研究フェロー、1957年から1958年までインペリアル・カレッジ・ロンドン研究フェロー、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン数学科講師(1959年 – 1960年)、1960年にエディンバラ大学テイト研究所数理物理学講座講師に就任。1970年にエディンバラ大学上席講師、1974年にエディンバラ王立協会会員、1980年にエディンバラ大学理論物理学講座教授に就任。1983年に王立協会会員、1991年に英国物理学会フェローに就任。1996年にエディンバラ大学を定年退職し名誉教授の称号を得る。1998年キングス・カレッジ・ロンドンフェロー、1999年英国物理学会名誉フェロー、2013年王立スコットランド学士院フェローに就任。

 

■業績
1964年、素粒子の「質量の起源」を説明する電弱理論における対称性の破れ(南部陽一郎の対称性の自発的破れが原型)の理論を提出した。この仮説を裏付けるヒッグス粒子の発見は素粒子物理学の大きな課題となっており、スイスの大型ハドロン衝突型加速器を用いて陽子同士を衝突させ、ヒッグス粒子を検出する計画が進められてきた。

2012年7月4日、CERNがヒッグス粒子ではないかと見られる物質を発見したことを発表するに至っている。CERNの発表の会場にはヒッグスも同席し「生きている間にヒッグス粒子が発見されたことは嬉しい」とコメントしている。

 

■主な受賞歴
・1981年 – ヒューズ・メダル
・1984年 – ラザフォードメダル賞
・1990年 – スコットランド科学賞
・1993年 – ジェームズ・スコット賞(エディンバラ王立協会賞)
・1997年 – ポール・ディラック賞
・1997年 – 高エネルギー・素粒子物理学賞
・2004年 – ウルフ賞物理学部門
・2009年 – オスカル・クラインメダル
・2010年 – J・J・サクライ賞
・2012年 – ヒッグスメダル(エディンバラ王立協会賞)
・2013年 – アストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門
・2013年 – トムソン・ロイター引用栄誉賞
・2013年 – ノーベル物理学賞
・2015年 – コプリ・メダル

欧州原子核研究機構(おうしゅうげんしかくけんきゅうきこう、CERN) は、スイスのジュネーヴ郊外でフランスとの国境地帯にまたがって位置する世界最大規模の素粒子物理学の研究所である。

 

■所在地
スイスのジュネーヴ西方にある、スイスとフランスの国境をまたぐ地域に、2つの研究地区といくつかの実験施設がある。

地下には 全周 27km の円形加速器・大型ハドロン衝突型加速器 (LHC) が、国境を横断して設置されている。LHC は先行実験器である大型電子陽電子加速器 LEP に接続する形で建造されている。

 

研究地区は、スイス側にメイラン地区(ただし、敷地の一部はフランス領地)、フランス側にプレバサン地区がある。これら研究地区の外に広がる地下実験施設の運用、およびそこへの出入りのために、主にフランス側に実験地区が点在している。

 

■活動
加速器を用いた素粒子物理学および原子核物理学の研究のほか、研究に必要な有用な技術の開発などを行っている。

 

■素粒子・原子核物理学研究
電子陽電子加速器実験 LEP および LEP2 により、質量を持つゲージボゾンであるZボゾン、Wボゾンの質量の測定および電弱対称性の破れの精密測定を行った。この結果は素粒子標準模型の予言の正確さを示すと同時に標準模型を越える物理の存在可能性を検証するための大きな指針として現在の素粒子研究に役立っている。

 

日本時間2010年3月30日、LHC による加速器実験にて、7Tevでの陽子衝突を初めて成功させた(加速エネルギーが3.5TeVの陽子同士を正面衝突させた)。以降、LHC は順調に統計を貯め、2011年12月13日、ヒッグス粒子探索に関する経過発表を、ATLAS、CMS 検出器グループが合同で行った。

 

■情報技術
文献の検索および連携のために考案された言語であるHTML 、インターネット通信のために定めた規則(HyperText Transfer Protocol 通称:HTTP)、 World Wide Web(通称: ウェブ)発祥の地としても知られる。この発明はいずれもイギリス人技術者ティム・バーナーズ・リーによって考案された。当初、彼は各国に散らばっている実験者が瞬時に情報にアクセスできるように、しかも同時に多くのコンピュータ間で同じ情報が共有できるようにと願ってWebを開発したのであるが、彼のもたらした効果は今や CERN のみに留まらず、全世界に拡がっている。

 

■施設
・粒子加速器
  ・反陽子減速器 (AD)
  ・陽子シンクロトロンブースター (PSB)
  ・陽子シンクロトロン (PS)
  ・スーパー陽子シンクロトロン (SPS)
  ・大型電子陽電子コライダー (LEP)
  ・大型ハドロンコライダー (LHC)

 

■関係国
CERN はメンバー国(欧州の21か国及びイスラエル)により運営・利用されているが、それ以外の国々(非メンバー国)からの利用も受け入れている。

 

■メンバー国
・1954年設立時の国 – スイス・ドイツ・ベルギー・オランダ・デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フランス・イタリア・ギリシャ・イギリス
・1959年6月 – オーストリア
・1983年11月 – スペイン
・1985年7月 – ポルトガル
・1991年1月 – フィンランド
・1991年7月 – ポーランド
・1992年7月 – ハンガリー
・1993年7月 – スロバキア
・1993年7月 – チェコ
・1999年6月 – ブルガリア
・2013年12月 – イスラエル
・2016年7月 – ルーマニア

 

■オブザーバー国・団体
・EC(欧州委員会)・インド・日本・ロシア・トルコ・ユネスコ・米国

オブザーバー国の位置づけは、その国を構成する団体から理事等の政治的な活動を行わなければならない人を受け入れないだけのことである。CERNの実験等に関する利用に関しては、各国の研究機関との間で締結した協定に基づき受け入れを行っている。なお、ECやユネスコがオブザーバー参加しているのは、公平中立性を確保するために、EC加盟国やUNESCO加盟国が不利な取り扱いを受けないか、国際条約に定められているところの危険な実験をおこなっていないか(具体的には、核実験)についての監査を行うためである。

 

■非メンバーの利用国
・アイスランド・アイルランド・アゼルバイジャン・アルジェリア・アルゼンチン・アルメニア・イラン・インド・ウクライナ・エストニア・オーストラリア・カナダ・台湾・日本・キプロス・クロアチア・グルジア・スロベニア・セルビア・中国・ニュージーランド・韓国・パキスタン・ブラジル・ベラルーシ・ペルー・南アフリカ・メキシコ・モロッコ

2020年1月12日配信動画『人間の知性の限界点.ヒッグス粒子!宇宙に因果律を作りあなたを生み出した力!』

※動画内では「1912年の読売新聞の記事」とおっしゃっていますが、実際は2012年の読売新聞の記事です。

■動画再生時間:9分15秒  ■チャンネル名:KoJi,s Deep Max
こちらの動画の説明欄より

何もない真空の中にヒッグス粒子による力が働くと、真空の中に小さな粒子が生まれ始めて、その粒子が一つの法則性を持つようになる。
つまり、ヒッグス粒子の力とは『因果律をつくる力』。

2020年1月13日配信動画『『誰がビッグバンを起こしたのか!』人工知能でも解き明かせない人類最後のこの問いを解き明かした人は誰か!』

■動画再生時間:5分11秒  ■チャンネル名:KoJi,s Deep Max
こちらの動画内容のまとめ

ヒッグス粒子に関して「宇宙成立の謎 解明へ光」と表題された記事の言葉の矛盾点

当該記事の出典:2012年7月5日の読売新聞の記事

■矛盾点①「質量をもたらした原子」

質量があるから原子なので、記事内容を当てはめると「原子に質量をもたらした原子」となり、それはつまり、『ただの原子』ということになる。
実際は『原子に質量をもたらしている力』が存在している。

■矛盾点②「すべての素粒子が光速で飛んでいる」

光速で粒子が飛んだら、それはもう『粒子』ではない。
『粒子』とは『粒』なので、光速で飛ぶとそれは『何もない存在』になってしまう。
「光速で飛んでいる粒子」という言葉自体がおかしい。

■矛盾点③「真空がヒッグス粒子で満たされ、素粒子の速度が遅くなる」

記事の内容では「光速で飛んでいる粒子の中にヒッグス粒子が出てきてそれを満たす」となっているが、「粒子の中を粒子が満たす」ことはあり得ない。言葉が完全に矛盾している。
この時点で「ヒッグス粒子」が『人間の言葉では説明できないもの』になってしまっている。

■記事の最大の問題点(疑問点)

そもそも、『ヒッグス粒子を生み出した粒子』とはいったい何なのか。
宇宙に『質量(因果律)』を生み出したヒッグス粒子を生み出した粒子とはいったい何なのか。
ヒッグス粒子を生み出した粒子は何?その粒子を生み出した粒子は何?その粒子を生み出した粒子を生み出した粒子は何‥‥と、問いが永遠に続く。

■始まりのとい

「神様」がビッグバンを起こしたのであれば、その神様を生み出したのは誰? その「神様を生み出した神様」を生み出したのは誰? その「神様を生み出した神様を生み出した神様」を生み出したのは誰?‥‥と永遠に続く問いであり、答えがない。
これが既存の科学で解明できないこと。
スティーヴン・ホーキングやアルベルト・アインシュタインでもわからないこと。

しかし、この『始まりの問』を解き明かしたのがお釈迦様。

《動画内容のまとめ ここまで》

2020年1月13日配信動画『あなたも私もヒッグス粒子だった!という話!6G世界で生き残れる人と残れない人!』

■動画再生時間:9分30秒  ■チャンネル名:KoJi,s Deep Max

以上が、『ヒッグス粒子の矛盾点』に関するおもな解説動画です。

それでは、続いて、『始まりの問を解き明かしたお釈迦様が残した暗号』についての動画をご覧くださいませ。

『始まりの問』と『隠された暗号』

2020年4月12日配信動画『ブッダコード!ブッダの暗号!法華経に隠されたこの暗号がわかるかな!』

■動画再生時間:8分35秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

いかがでしょうか。
時に、『進み過ぎた科学』や『本質を捉えた理論』というものは、「普通の人たち」の思考を遥かに超越してしまうため、しばしば「普通の人たち」からは「オカルト」や「カルト宗教」として認識されてしまうようです。

はたして、あなた様は、『理論物理学者でもあるお釈迦様が残した暗号』を解くことができますでしょうか。

『理論物理学』と、それが理解できない「悪魔」たち

さて、ここであらためて『ビッグバンが起こったときの最初の現象』について考えてみましょう。

ビッグバンが起こったとき、『ヒッグス』が『トップクォーク(粒子)』と同時に生まれ、その『トップクォーク』にひとつのエネルギーと質量と方向性を与えました。
そして『ヒッグス波』が与えたその方向性に従って原子や電子が形成されて宇宙空間になり、それが時間とともに広がり続けているのが、138億年のこの世界です。

 

そこに銀河が生まれて地球が生まれて生命が生まれ、今、私たちは地球にいます。
私たちは、地球から『何もない真空』を眺めています。

 

そして、無限の3次元世界にいる知的生命体たちが、『何もない真空がなぜこの世界を生み出したのだろう』と考えているのが『基本的な考え』となります。
この『基本的な考え方』を応用したものが、トランジスタや半導体です。
半導体の中では、電子が『何もない状態』になったり『粒』になったりを繰り返しながら『トンネル効果』によって動作する、という仕組みが使用されています。

 

さらに、現代の最先端の技術である『量子コンピューター』の中では、『重ね合わせ』という『無限の平行宇宙の重ね合わせの中で一瞬でどこかに行く』という原理が使用されているのです。

出典:2021年6月11日配信動画『これが何万年も人間を苦しめてきた悪魔とその正体だ!それは生命進化の本当のゴールを理解できない無知な人間達の作り出した妄想とそれを土台とした悪魔の思想!宗教.階級.共産資本主義.ホモデウス主義!』の内容より

‥‥と、このように、科学技術の発展や文明の発達にも貢献こうけんしている『理論物理学』と『宇宙の仕組み』。
しかし、そういったことを全く理解できないどころか、本来の物理学を否定する「エセ科学者」や「不可知論者」、さらには「悪魔のような思想を持つ権力者」によって大局がコントロールされてしまったとき、世界はいったいどのような惨状さんじょうていしてしまうのでしょうか。

続けて動画をご覧くださいませ。

2021年6月9日配信動画『遂にこの世界に姿を現した悪魔達!』

■動画再生時間:21分02秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

不可知論(ふかちろん、英: agnosticism)は、ものごとの本質は人には認識することが不可能である、とする立場のこと。

 

■概説
不可知論というのは、事物の本質は認識することができない、とし、人が経験しえないことを問題として扱うことを拒否しようとする立場である。現代の哲学で言えば、哲学用語で言う現象を越えること、我々の感覚にあらわれる内容を越えることは知ることができない、として扱うことを拒否する立場である。

 

agnosticismという表現は、トマス・ヘンリー・ハクスリーが自分の立場を言い表すために用いられはじめた、という。それは1868年(あるいは69年)だという。 R.H.ハットンの1881年3月13日付けの書簡によれば、この語は、1869年の或る晩、Metaphysical Societyの結成以前に、Clapham Commonにあるジェームズ・Knowles邸で開かれた、或るパーティーでハクスリー教授によって提唱されたものである。彼は、それを聖パウロの「使徒行伝」の第17章23節の「知られざる神」の祭壇の言及から採った。

 

カント以降の「物自体は不可知だ」とする考えも不可知論である。

 

不可知論は本質的な存在については認識不可能だとする。そのような主張に至るには、懐疑論・現象学・実証主義などの立場によるものがある。

 

不可知論のなかにもさまざまなタイプがあり、存在を絶対のものとして、認識を言葉以上のものではないとする立場があり、また、認識が不可能であることを認めつつも本質的存在自体を想定することは可能であるとする立場もある。

 

宗教的不可知論のひとつのタイプとしては「神は「いる」とも、「いない」とも言えないのだ」とする中立的不可知論がある。他に、政治的な意図から無神論者であると言明するのがはばかられる場合に用いられることもあるが、これは政治的な運動であるマルクス・レーニン主義者や科学原理主義者などの無神論者からは “相対主義的だ”などと批判されることがあった。

 

■歴史
古代ギリシアのピュロンなども不可知論者に入れることができる。

 

古代インドのサンジャヤ・ベーラッティプッタという、ブッダと同時代の人物も不可知論者とされることがある。

 

釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は神の存在については肯定も否定もしなかったとされる。ただし、釈迦は仏教の開祖として宗教の枠組みの中に取り込まれた存在であるため、仏教が分派発展していく過程で釈迦が絶対的な存在を肯定している教典が多数存在する。

古代中国においては孔子が「怪力乱神を語らず」という立場であり、これも不可知論者と見ることもできる。

 

ヨーロッパの中世ではグノーシス派などがgnosis グノーシスによって神の本体を直接に知ることができる、としたのに対して、ローマ・カトリック教会では、神の存在は、人間理性にもともと備わる「自然の光」によって知られるが、神の本体そのものは知られない、神は人間には鏡に映る姿のようにおぼろであり、神と直接に対面できるのは別の世においてである、とした。

 

近世では、哲学的な説として不可知論が再登場した。人間は有限な存在で知力が限られていて、世界自体が何であるか知ることができない、とする説である。人間の知識というのは、印象と観念に限られて、それらを越えたことは知識の対象にならない、というデイヴィッド・ヒュームの主張も不可知論の一種ととらえることができる。また、カントが『純粋理性批判』において示した、物自体は認識できず、人は主観形式である時間・空間のうちに与えられた現象だけを認識できる、とする考え方も一種の不可知論である。

 

「positivism ポジティヴィズム」(日本語訳では「実証主義」と訳されている)というのは、もともとの表現からも分かるように(神が)人間の感覚に与えているもの(現れさせているもの)だけを問題として扱い(議論し)、その他のことは扱うのは止めよう、とする意味が込められた表現であり、知識を経験可能なことに関するものだけに限ろうとしており感覚に現れないことは「形而上学」として排除しようとする手法であるが、もともとその根底には不可知論がある、と言える。こうした傾向は論理実証主義にも継承された。

ユヴァル・ノア・ハラリ (ヘブライ語: יובל נח הררי‎、英: Yuval Noah Harari、1976年2月24日 – )は、イスラエルの歴史学者。ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授 。世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』、『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者。著書では自由意志、意識、知能について検証している。

 

■略歴
1976年、イスラエルのキリヤット・アタで生まれた。その後ハイファにてレバノンと東ヨーロッパをルーツに持つユダヤ人家庭で育った[2]。21歳の時にゲイであることをカミングアウトした。

 

2002年に、現在彼の夫であるイツィク・ヤハフ(Itzik Yahav)に出会い、彼はヤハフのことを「私の『すべてのモノのインターネット』(my internet of all things)と語っている」。ヤハフは個人的なマネージャーでもある。カナダのトロントで結婚し 、その後イスラエルにほど近い地のモシャブ(農業共同体の一種)で生活している。

 

2000年、オックスフォード在住中にヴィパッサナー瞑想を開始し、それが「人生を変えた」と語っている。著書『ホモ・デウス』では献辞として「S・N・ゴエンカに捧げる」とされている。

 

■経歴
1993年から1998年の間、ヘブライ大学で地中海史と軍事史を学んだ。その後オックスフォード大学のジーザス・カレッジに進み、Steven J. Gunnに師事して2002年に博士の学位を取得した。 2003年から2005年にかけてヤド・ハナディヴのフェローとして博士研究員の立場で歴史学を研究した。

 

その頃から、主として軍事に関する多くの著書や記事を執筆するようになる。現在の専門は世界史とマクロ・ヒストリー(歴史の究極的な法則性を探求し、長期的・巨視的な傾向を見いだそうとする学問)である。著書『サピエンス全史』は2011年にヘブライ語で出版された。2014年には英語版が出版され、その後30に迫る数の言語に翻訳された。本書においてハラリは人類史の全域に渡る調査を行った。その領域は石器時代から始まって、21世紀における政治的・技術的な革新にいたるまでホモ・サピエンスの進化全域を対象としている。ヘブライ語版はイスラエルでベストセラーとなり、学界のみならず一般の人々の関心もかき立てたためハラリは一躍名声を得た。

 

ユーチューブで公開されているヘブライ大学における世界史講義(ヘブライ語)は、視聴回数が数十万回という人気を誇っている。またハラリは『A Brief History of Humankind(人類史概論)』という英語での無料オンライン講座を開講しており、全世界で10万人以上の受講者がいる。

 

2009年から2012年にかけていくつかの有名な賞を受賞して名声を固めていった。さらに2015年、フェイスブックの創始者であり現CEOでもあるマーク・ザッカーバーグによってサピエンス全史が紹介され一躍世界的に有名になった。ザッカーバーグは本書を「人類文明の壮大な歴史物語」と評してフォロワーに紹介した。

2021年8月9日配信動画『ロスチャイルドが企む経頭蓋磁気刺激法による全人類思考支配計画!あなたのカタルシスも思考も行動も記憶もすべて自由に統一政府が作り出す!』

■動画再生時間:30分51秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

ジョージ・ソロス(英: George Soros、1930年8月12日 – )は、ハンガリーブダペスト生まれのハンガリー系ユダヤ人の投資家、慈善家。

 

ハンガリー名はショロシュ・ジェルジ (Soros György) 。天才投資家として知られ「イングランド銀行を潰した男」(The Man Who Broke the Bank of England) の異名を取る。

 

ソロス・ファンド・マネジメント(英語版) (Soros Fund Management) 会長、オープン・ソサエティ財団 (Open Society Foundations; 旧称: Open Society Institute) 創設者、彼の生まれ故郷でもあるブダペストにある中央ヨーロッパ大学 (CEU) 共同創設者、Project Syndicate 出資者、シンクタンク Institute for New Economic Thinking (INET) 出資者(創設に当たり5000万ドルを提供)及び創設者の一人である。投資家であると同時に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学の博士号を得た哲学者であり、政治運動家、政治経済に関する評論家としても活動している。自身を「国境なき政治家 (“stateless statesman”)」と称す。この呼称はもともとマケドニアの元首相ブランコ・ツルヴェンコフスキから与えられたものであり、それを気に入ったソロスが以来自称するようになった。Black Lives Matterの主要な出資者の一人でもある。

 

■経歴
ヘッジファンドがまだその呼称さえ確立していなかった黎明期の1969年にファンドを立ち上げ投資家としてのキャリアを開始する。2010年時点のソロスのファンドの運用資産は270億ドル。思考の不確実性と現実の出来事の不確定性の双方向の繋がりに関する概念「再帰性 (相互作用性、reflexivity)」の理論を提唱。

 

2011年1月26日、ファンドでの投資活動から引退したことを明らかにした。同年7月26日、ソロス・ファンド・マネジメント内の外部投資家資金を全額年内に返還することを決定。また、1979年に始まるソロスの慈善事業への寄付金総額は、2015年までに120億ドルを超えた。なお、ソロスの財団は一時期ウィキメディア財団のための基金を創設した大口寄付者でもあった。

 

クリントン政権時代にはソロスの著書に共鳴したクリントン大統領によって外交問題評議会 (CFR) に在籍した。ソロスはまた、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットらと共に、(超)富裕層への一層の増税を求める共同声明に名を連ねている一人である。

 

・1930年、ブダペストのユダヤ人家庭に二人兄弟の次男として生まれる。父親は弁護士でエスペラント作家のティヴォドア・ソロス(Tivadar Soros)。
・1945年、ハイパーインフレーション下のハンガリーで初めて通貨取引を行う。
・1947年、単身イギリスに渡る。
・1949年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) に入学する。大学卒業後は志望していた金融業界に就くことができず、一時期はイングランド北部のブラックプールで記念品や土産物や宝飾品などを販売するセールスマンとなる。
・1953年、ロンドンのシンガー & フリードランダー社に入社。
・1956年、アメリカに移住。ニューヨークのウォール街に赴く。
・1961年から1966年にかけて、自身の学位論文『認識の重荷』(The Burden of Consciousness)を完成させることに集中する。
・1969年、ジム・ロジャーズ(彼もやがて世界的に有名な投資家となる)と共にファンド(後のクォンタム・ファンド)を設立。
・1980年、ジム・ロジャーズと訣別。
・1981年、クォンタム・ファンドは創設以来初めての損失を出す。ファンドは4億ドルから2億ドルに縮小、運用実績は22%のマイナスとなる。
・1992年、イギリス政府の為替介入に対抗してイギリスの通貨ポンドへ空売りを行い、15億ドルとも言われる利益を得る。この一件により、「イングランド銀行を潰した男」の異名を得る。
・1998年、クォンタム・ファンドがその規模(運用資産)において世界最大のヘッジファンドになる。
・2000年、インターネット・バブルの崩壊によって60億ドルを失う(これは同バブル崩壊によって損失を被ったあらゆるファンドの中でも最大の損失額に相当する)。ファンドの規模は100億ドルから40億ドルへ縮小。
・2010年、ファンドの規模が史上最高額の270億ドルに達する。
・2011年1月26日、世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席するため訪れていたスイスのダボスにて、投資から引退し、それまで注力していた慈善活動や新経済概念の構築に力を入れることを表明。
・2011年7月26日、ソロス・ファンド・マネジメントは外部投資家から受け入れていた相対的に少額の投資金を年内に全額返還することを表明。
・2013年、アベノミクスの量的緩和政策による円安相場で10億ドルの利益を得る。また同年にクォンタム・ファンドは、55億ドルもの利益を上げた。これはヘッジファンド史上最高額であるという。

 

■家族
ジョージ・ソロスは弁護士でエスペラント作家であったティヴォドア・ソロス(Tivadar [Teodoro] Soros)とエリザベス・ソロス(Elizabeth [Erzsébet] Soros)の二人兄弟の次男として生まれた。カウフマン(Kaufmann)の伝記 “Soros” (2002年) によれば、ティヴォドアはハンガリー系のユダヤ人であり、第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアの捕虜収容所から脱走し、ハンガリーのブダペストで自分の家族と合流した。

 

ユダヤ人であったソロス一家は、ファシストの台頭と反ユダヤ主義の広まりに危機を覚え、1936年にユダヤ人に多いSchwartz(シュヴァルツ)からSoros(ショロシュ)へと姓を変えた(Kaufmann, p. 24)。ティヴォドアは、この新しい名前が気に入った。回文であり、それなりの意味があったからである。カウフマンの伝記によれば、”soros” はハンガリー語で「並びの次」(”next in line”)または「指名されている後継者」(”designated successor”)を、エスペラントでは「上昇するだろう」(”will soar”)(「上昇する」を意味する “sori” の未来形)を意味するという。

 

ジョージは、生まれたときからエスペラントを学んだ。このため、彼は数少ないエスペラント母語話者である。ジョージは後に、典型的なブルジョアのユダヤ人家庭に育ったことと、彼の両親は宗教的なルーツに対して慎重であったことを述べている。ただし、ティヴォドアはユダヤのルーツを誇りにしていた。これは、彼のホロコースト体験を綴った回顧録「Masquerade」にも記述されている。一家は正統派ユダヤ教に属するユダヤ人家庭であったものの宗教的には実質的に無宗教であったが、ジョージの母親は戦後信仰を持つようになったという。ジョージは自身が無神論者であることを認めている。

 

ジョージは3度の結婚を経験している。最初の妻はドイツ系のAnnaliese Witschak、2番目の妻はユダヤ系のSusan Weber Soros、3番目の妻は日系ハーフのTamiko Boltonである。最初の妻Annalieseとの間にロバート、アンドレア、ジョナサンの3子がおり、2番目の妻Susanとの間にアレクサンダーとグレゴリーの2子がいる。

 

ジョージの4人の息子のうち、最年少でアーティストのグレゴリー(1988年 – )を除いたロバート、ジョナサン、アレクサンダーの3人全てが、ジョージのファンドまたは財団に籍を置いて活動している。

 

一人娘のアンドレア・ソロス(Andrea Soros)は慈善家として、1993年より中国におけるチベット人コミュニティを支援するための独自の財団Trace Foundationを設立し活動しているほか、世界の貧困解決のための非営利のベンチャーファンドであるAcumen Fundの評議員を務めてもいる[6]。また、兄ポール・ソロス(Paul Soros)はエンジニア出身の起業家で、慈善家、投資家、ニューヨークの名士としてもよく知られている。

 

■ビジネス
ソロスは自身のファンドであるソロス・ファンド・マネジメント(Soros Fund Management)の設立者である。1970年、彼はジム・ロジャーズとともにクォンタム・ファンド (Quantum Fund)を設立した。ファンドの名称はソロスの「再帰性」の理論と関連するヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理を基礎とする量子力学の「quantum(量子)」にちなんで名付けられた。ファンドは1973年からの10年間で4200%のリターンを出してソロスの富の大部分を形成した(この間、S&Pは47%上昇しただけだった)。2011年の時点でソロス・ファンド・マネジメントは、40年以上の間、平均して年間20%のリターンをもたらして来たとしている。これはヘッジファンド史上最高のパフォーマンスに相当する。また同ファンドは1973年以来、2013年までに400億ドル以上の利益を生み出して来たという。

2021年9月1日配信動画『悪魔とは何者か!またその眷属とはどういう人々か!』

■動画再生時間:24分10秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

※動画内で語られている「ダイゴ」とは「メンタリストDaiGo」のことです。

DaiGo(ダイゴ、1986年〈昭和61年〉11月22日 – )は、日本のメンタリスト、作家、ニコ生主、YouTuber。企業の研修やコンサルなども行う。

 

静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ、千葉県市川市育ち。身長は174cm。血液型はB型。弟が3人おり、末弟は東京大学謎解き制作集団AnotherVision元代表の松丸亮吾。

 

ニコニコチャンネルの有料会員数は、2019年9月現在ニコニコチャンネルの中で最も多い。

 

■来歴
幼少時は小学1年から中学2年までの8年間に亘っていじめを受けていたが、母親を馬鹿にされた怒りで突発的に工作室に落ちていた鉈を投げると周囲の反応が一変。それがきっかけで自分の行動一つで世界は変えられると考えるようになった。

 

私立高輪高校を経て、慶應義塾大学理工学部物理情報工学科を卒業。なお、慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程は、後に中退。

 

高校在学時は東京大学を受験するも、不合格となり一年の浪人生活を送る。一浪時はセンター試験において試験科目のマークを間違えて行ったため東京大学に出願できず、母が密かに出願していた慶應義塾大学を受験し、合格を果たした。その際に万年筆1本で受験したというエピソードがある。目的の大学には入れなかったため、コンプレックスを抱いたまま大学に進学する。学校生活中に「このコンプレックスに打ち勝つために、大学時代に何かを成し遂げなければならない」と感じ、友人からイギリスのメンタリストであるダレン・ブラウンを紹介され、彼のパフォーマンスに感銘を受ける。その後、ブラウンに関する書籍などを読み漁り、メンタリズムについて本格的に勉強を開始する。

 

眉村神也によるプロデュースとメンタリズムのテクニック指導のもと、メンタリストとしてテレビなどで活躍することになる。

 

■人物
・愛猫家。
・「人生を変えてくれた作品」と公言するほどの「攻殻機動隊」シリーズの大ファン。この作品を見て、「(映画に登場する)人工知能が作りたくなって大学の専攻を決めた。人の心を扱うメンタリストという仕事を選ぶきっかけとなった」と明かしている。
・京都アニメーション放火事件の被害者の一部の実名を、遺族からの承諾を得ることなくNHKが報道した際には、自身のYouTube配信で憤慨の意を示し、NHKとの決別を宣言した。
・死刑制度存置論者。
・芸能活動開始当初は「メンタリスト」ではなく、金属の形を自由に操れるパフォーマーとして「メタルアーティスト」の肩書を名乗っていた。
・2016年度から2018年度まで新潟リハビリテーション大学の特任教授を務めた。

 

■生活保護受給者とホームレスを巡る騒動
2021年8月7日、「【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答」と題したYouTubeのライブ配信中、視聴者からの質問に対し、DaiGoは生活保護の受給者やホームレスを否定する持論を展開した。

 

「僕は生活保護の人たちにお金をはらうために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人達に食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしいと僕は思うんで。生活保護の人生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで。猫が道端で伸びてればかわいいもんだけど、ホームレスのおっさんが伸びてると、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろって思うもんね。自分にとって必要のない命は軽いんで、ホームレスの命はどうでもいい。いない方がいいじゃん。猫はでもかわいいじゃん。犯罪者殺すのだって同じですよ。群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ。犯罪者が社会にいるのは問題だし、皆に害があるでしょ。だから殺すんですよ。同じです。ホームレスって言っちゃ悪いけど、どちらかっていうといない方がよくない?皆確かに命は大事って思ってるよ。人権もあるから、形上、大事ですよ。でもいない方がよくない?正直。邪魔だし、プラスになんないし、臭いし、治安悪くなるし。」— メンタリストDaiGo、【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答より引用。

いかがでしょうか。
迷惑極まりない「悪魔」と呼ばれる存在たち。
しかし、それらが共生しているのが『3次元』という『次元が重なった土台』でもあります。

本道と外道が織りなす次元の構造

2021年3月5日配信動画『本道と外道!そこから生まれる人間のピラミッド構造!』

■動画再生時間:9分17秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

2021年3月5日配信動画『本道と外道が次元構造を作っている!』

■動画再生時間:7分26秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル

自発的に対称性を破った存在

さて、ピーター・ウェア・ヒッグス博士の提唱した理論は、南部陽一郎なんぶ よういちろう博士の『自発的対称性の破れ』という理論を原型にしています。

自発的対称性の破れ(じはつてきたいしょうせいのやぶれ、spontaneous symmetry breaking)とは、ある対称性をもった系がエネルギー的に安定な真空に落ち着くことで、より低い対称性の系へと移る現象やその過程を指す。類義語に明示的対称性の破れや量子異常による対称性の破れ、またこれらの起源の1つとしての力学的対称性の破れなどがある。

 

主に物性物理学、素粒子物理学において用いられる概念であり、前者では超伝導を記述するBCS理論でクーパー対ができる十分条件、後者では標準模型においてゲージ対称性を破り、ウィークボソンに質量を与えるヒッグス機構等に見ることができる。また、この他、磁気学における強磁性体の磁化についても発生の前後で自発的対称性の破れが考えられている。

 

有限自由度の量子系では、ハミルトニアンがある対称性を持つとき、その真空状態もまた同じ対称性を持ち自発的対称性の破れは起こらない。これは、古典的には複数のエネルギー極小状態を持つ系であっても、量子論ではトンネル効果のために有限の確率でこれらの状態間の遷移が可能であり、これらの重ね合わせ状態として真空状態が実現することに由来する。しかし無限自由度系ではこのようなトンネル確率はゼロであり、対称性が自発的に破れている系には複数の真空状態が縮退して存在する。このことは南部・ゴールドストーン粒子の存在やヒッグス機構によるゲージ場の質量獲得と関係している。

出典:Wikipedia『自発的対称性の破れ』

しかし、この『自発的対称性の破れ』という理論を用いても解くことができなかった『ビッグバンが起こった理由』。
はたして、人類はこの『最大の謎』を解き明かすことができるのでしょうか。

2021年9月19日配信動画『ビックバンは誰がどうやって起こしたのか!始まりの問いは越えられるのか!人間と3次元の森羅万象はアルゴリズムに支配されているのか!誰が自発的対称性を最初にどうやって破ったのか!光より早いもの‥‥』

■動画再生時間:9分52秒  ■チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル
参考資料:Wikipedia『南部陽一郎』

南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、1921年1月18日 – 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学 1952年)。

 

日本の福井県福井市出身。自宅が大阪府豊中市にあり、シカゴに在住していた。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。

 

■人物
日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者の一人としても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。特に、自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。シカゴ在住だったが、晩年は大阪府豊中市にもある自宅で暮らしていた。

 

⦅中略⦆

 

■エピソード
・少年時代に自分の手で鉱石ラジオを製作し、野球中継を聴いたことに大感激したことを明かしている。
・一高時代は物理が特に苦手で、エントロピーを理解できずに熱力学の単位を落とした。
・陸軍で兵士としての勤務1年の後、短波レーダーの研究に従事した。そのとき朝永振一郎によるレーダー理論の海軍機密文書を盗み出すように陸軍から命ぜられたが、朝永本人に頼むことにより入手した。
東大4年の時、湯川秀樹と朝永振一郎に素粒子を勉強したいと言ったら、「素粒子については、天才でないと理解できない」といわれて、一度は・ねつけられた。
・プリンストン高等研究所時代、2度アインシュタインに会う。2回目の時アインシュタインは量子力学が信用できないことを必死に説明しようとした。
・東大の物理学科の卒論はウィリアム・ブレイク(イギリスの詩人、画家、銅版画職人)だった。

ご挨拶

いかがでしょうか。
こちらの記事が、少しでもあなた様のお役に立てましたら幸いに存じます。

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