「ごめんなさい」と「なむあみだぶつ」

【4D】Prisoners

日本国に投影された「地獄」

世の中には、目をおおいたくなるような陰惨いんさんな事件が無数にあります。

「戦後の日本」の代表的なものだけでも───

■あさま山荘事件

1972年2月19日から2月28日

在日朝鮮人・コミンテルン

■日本赤軍事件

1970年代から1980年代

在日朝鮮人・コミンテルン

■よど号ハイジャック事件

1970年3月31日

在日朝鮮人・コミンテルン

■勝田清孝事件

1972年~1983年

サイコパス・公務員

■連続企業爆破事件

1974年8月~1975年5月

在日朝鮮人・コミンテルン

■女子高生コンクリート詰め殺人事件

1988年11月~1989年

日本共産党・朝日新聞

 事件の詳細はこちらの記事でご確認いただけます。

坂本堤弁護士一家殺害事件

1989年11月4日

在日朝鮮人

松本サリン事件

1994年6月27日

在日朝鮮人

地下鉄サリン事件

1995年3月20日

TBS・在日朝鮮人

神戸連続児童殺傷事件

1997年

在日朝鮮人

附属池田小事件

2001年6月8日

在日朝鮮人・創価学会

■プチエンジェル事件

2003年7月

朝日新聞・毎日新聞・政治家・皇族・裁判官・弁護士・医者

 事件の詳細はこちらの記事でご確認いただけます。

ペッパーランチ強盗強姦事件・食中毒発生事件

2007年・2009年

在日朝鮮人・創価学会

秋葉原通り魔事件

2008年6月8日

相模原障害者施設殺傷事件

2016年7月26日

在日朝鮮人・夜の街

■京都アニメーション放火殺人事件

2019年7月18日

保護観察処分中の事件・創価学会

海外の事例に至っては───

もし、これらの犯人たちが、

「ごめんなさい」と言っただけで全てが完全にゆるされてしまう。

そんな世界があったとして、あなたはそれを赦すことが出来ますか?

もし、それを赦せるモノがいるとすれば───

それはきっと、『それらの犯罪を犯したモノ』、もしくは、『それらの犯罪者と同一の思考回路を持つモノ』だけなのでしょう。

同様に、

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ(あるいは南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう)、ととなえれば極楽浄土ごくらくじょうどへ行ける」

この考え方は、

「ごめんなさい、と言っただけで全てが完全に許されてしまう」

そういった短絡的たんらくてきな発想法と同じなのですよ。

間違いは正してゆきましょう。

今からでも遅くはありませんから。

さて、これからどうなさいますか?

「俺は金が好きだ。なぜかといえば、金は全ての代わりになるからだ。」
このセリフは、西尾維新にしお いしんの小説シリーズ『<物語>シリーズ』に登場する架空の人物・貝木泥舟かいき でいしゅうのセリフです。

俺は金が好きだ。なぜかといえば、金は全ての代わりになるからだ。

物も買える。命も買える。人も買える。心も買える。幸せも買える。夢も買える。とても大切なもので、そしてそのうえで、かけがえのないものではないから好きだ。

逆に言うと俺はな、かけがえのないものが嫌いだ。これがなきゃ生きていけないとか、あれだけが生きる理由だとか、それこそが自分の生まれてきた目的だとか、そういう希少価値に腹が立って仕方がない。

貝木泥舟

参考資料:ピクシブ百科事典『貝木泥舟』

貝木泥舟かいき でいしゅう
 

貝木泥舟とは、〈物語〉シリーズの登場人物である。

 

■概要
忍野メメと同じ怪異の専門家で、かつて戦場ヶ原ひたぎを騙した詐欺師。
黒い喪服の様なスーツに身を包んだ「不吉」な男。初出は『偽物語』。

 

■解説
金銭のためなら、子供でさえ騙すことも厭わない。「命より金が大事」を本気で信条にしている。
詐欺師であるが、ひたぎを騙した時は「ゴーストバスター」を名乗っていた。
「嘘の怪異」ならぬ「偽物」の使い手。

 

⦅中略⦆

 

■貝木三段活用
彼は時折熟語の如く対価として金を要求してくる。
その一例が
「知りたいか? 教えてやろう 金を払え」である。

※ちなみに、記事内の『俺は金が好きだ。なぜかといえば、金は全ての代わりになるからだ』のボタンをクリックまたはタップすると、違法金貸し業者『アイフル』のホームページへとリンクいたしますのでご注意くださいませ。

なお、リンク先へ飛んだだけでは金銭的契約は発生しませんが、ビッグデータによる監視システムとの紐付ひもづけによって『アイフル』の広告が表示されやすくなる可能性があります。

十悪じゅうあく五逆罪ごぎゃくざいを犯した『下品下生げぼんげしょうの者』への対応についてお釈迦様がおっしゃった言葉
このような悪しき行為の結果、悪しき道に落ち、長い間、繰り返し繰り返し苦悩を受けてやむことのないおろか者のことである。
不善ふぜんな行為、五逆罪と十悪の悪行を犯し、このような愚か者たちが命を終わろうとするとき、このような者たちを種々にいましはげまし、この者のために優れた説教を説き教え、仏を念じさせる指導者に会う。ところが、この者は苦しみに迫られて仏を念ずるいとまがない。
そこで釈迦は言いました。

『お前がもし、仏を念ずることが出来ないのなら、無量寿仏むりょうじゅぶつと唱えなさい。このようにしてこの者の心から声を絶やさぬようにし、十念を備えて、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと唱える。仏の名を唱えるのであるから、一念一念と唱える中に、八十億もの間、彼を生と死に結び付ける罪から免れる』

■このお言葉を通してお釈迦様が伝えたかったこと
あまりに悪すぎて仏の名を唱えることも出来ない者たちに「仏の名を唱えなさい」と言ったということは、『もう仏の名を唱えることは出来ないのだから、その者たちにとって仏はもういないのだ。あとは無間地獄に落ちるだけ』ということ。
愚かな者たちにとって「南無阿弥陀仏」という念仏は存在しないものである。

そもそも、「南無阿弥陀仏」と唱えている人たちには「南無阿弥陀仏」の意味すら分かっていない。
十悪と五逆罪を犯した者たちには『阿弥陀』は永久に唱えることができない。その者たちは仏の名を唱えても無駄である。この者たちに阿弥陀の世界は存在しない。これを唱えている者たちは叡智えいちを持っていない者たちで、無間地獄むけんじごくに落ちるような者たちだから関わってはいけませんということを伝えたかった。

しかし、畜生から人間に生まれ変わったときに念仏を延々と唱え続けることによって菩薩や如来の目に留まり、仏縁ができて正しい道に戻るチャンスが来るかもしれないという意味も込められている。

無量寿仏むりょうじゅぶつ阿弥陀仏あみだぶつ
『無量の光』のことを『阿弥陀アミーダ』といい、『光』とは『叡智』のこと。
つまり『悟り』のこと。

『授記』を授けた如来が無限の仏国土を生み出すと、さらにその先にも無限の仏国土が生まれる。
そして、その新たな如来たちがまた授記を授けて無限の仏国土が生まれる。
この全体を理解する叡智を『阿弥陀』という。

■無量寿経解説の出典

動画タイトル:生まれ変わった遥か遠い未来の日に外道になり念仏唱えていると正法の菩薩や如来から外道から正法に呼んで貰えるように説いた釈迦の教えとは!

動画の投稿日:2021年3月17日

チャンネル名:人間を越えた人のためのチャンネル』より

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